アイドルの世代交代
アイドルの世代交代
若手グループの台頭などにより、活動の転機を迎えることになる中堅アイドル。まさにHey!Say!JUMPがその立場にある。
そんな彼らを応援していて、ああ、彼らはまだまだ第一線で輝き続けるつもりなんだなという覚悟を感じ、とても胸が熱くなっている。そしてそれを成し遂げてくれるだろうという確信のようなものもある。同じことをやり続けるだけでは生き残れない。一方で変わらないことが尊いこともある。爆発的な売り上げ、急激な仕事の増加などがなくても、彼らのスタイルで長く活動していってくれることがファンとしての願いだ。そんな最近の彼らの動き、特に有岡くんのことを中心語っていきたい。
- プロデュース
- ダンス
- グループの強み=仲良し
- プロデュース
2021年の彼らの活動はまさにプロデュース中心だったと言える。その前から少しずつ活動の質が変わっていて、おそらくその最初を飾ったのが「Stupid」だったように思う。顔出しなしで突然音源が世に放たれたことは記憶に新しい。その後似たような切り口でファンをうならせたのが「狼青年」。顔出しなし、別名義で動画サイトにアップされたが、ジャニオタの凄まじい嗅覚により瞬く間に広がっていった。シン・Hey!Say!JUMPの幕開けと言えるのではないだろうか。そしてコロナ禍で思うような活動ができないなかで新たなことにチャレンジしていくことになるが、突破口を開いたのは有岡くんと知念くんではないだろうか。二人で曲を作ったりサイトで動画を上げたりなどかなり積極的に活動していて、その後の活動の大きな一歩につながったと言える。
そして2021年、シングル曲ネガティブファイターのカップリング曲#502でショート動画をUP、群青ランナウェイではTwitterと連動した不気味な、でも気になっていろいろ考察してしまうようなキャンペーンを実施、有岡くん個人で言えば主演舞台「アシタを忘れないで」で企画・プロデュースしていたり、知念くんとともに曲作りをしたものがカップリングとして収録された(「ASAP」)。
このように、今までの彼らにはあまり見られなかった、クリエイティブな面がたくさん見られるようになったことはとても素晴らしい。与えられた仕事を全うすれば評価されるのは新人時代だけ。これは一般社会でも同じことだ。彼らも中堅という立場になり、自ら作り上げることにシフトチェンジしたのだろう。このことにおいては、コロナ禍はプラスに働いた面もありそうだ。
仕事がステップアップした彼らを応援するのはとても楽しい。ジャニオタは特性上「まだ磨かれる前の原石を私が応援してあげたい!」みたいな種族が強烈な力(財力・発信力など)を持っているので、新しくデビューしたグループやJr.にファンが降りていくことはもう、至極当たり前のことであり、これをどうにかするのは無理だろう。また、若い世代(特に学生)はいま話題になっているものを好きになるのが普通だ。流行りに乗るのは若者の絶対条件だろう。自分の学生時代を思い出しても、当時はとにかくごくせんフィーバーで、クラスの女子の誰もがごくせんメンバーのうちの誰かのファンだったように記憶している。特に仁亀はすごかった・・・(ちなみに私は小池徹平のファンだった)
ということで、お金を落としてくれる太いファンやインフルエンサーのようにどんどん発信してくれる影響力のある若者が若手に降りて行ってしまうので、中堅になると新たな販路を切り開かなければならない。様々なことにチャレンジしていくのは今後の彼らのさらなるステップアップに必ず必要であるし、きっと彼らならやってくれるだろうと思う。
- ダンス
Hey!Say!JUMPはあるときからダンスフォーメーションに力を入れるようになり、それはどんどん磨かれてますます進化している。とにかく美しいフォーメーションダンスは彼らの大きな強みだろう。一人一人のダンスは全然違うものなのに、「それがなにか?」とでも言いたげな余裕のあるフォーメーションダンス。そう、とにかく余裕があるのだ。そしてこれは長年培われてきた互いへの信頼、このメンバーなら絶対大丈夫という自信がそうさせているのではないかと思う。そしてこの基礎となるダンスの美しさ・かっこよさがあったからこそ先ほど述べた「狼青年」が成立している。技量がなければあのアプローチは失敗していただろう。
たとえばOVERやありがとう~世界のどこにいても~などはキレキレでとにかく動きを合わせるということが重要視されているように見える。AinoArikaではフォーメーションの美しさに特化していたし、OVER THE TOPではイワシの群れをイメージしたフォーメーションを取り入れるなど、バラエティ豊かなフォーメーションダンスでファンを楽しませている。ダンスがうまいグループは他にもたくさんある。全体の技量としてはそれらのグループのほうが上だろう。それでもなおHey!Say!JUMPのダンスが魅力的なのは「大人数」で「信頼で成り立つ複雑なフォーメーション変化」をし、かつ「曲によって映えるメンバーを目立たせることが可能」な点に秘密があるだろう。人数の多さは武器だ。様々なフォーメーションを作ることができる。それと合わせて大事な要素なのが、曲ごとに目立たせるメンバーを変えることができることだ。これは案外珍しいことなのではないかと思う。基本的にセンターが山田くんであることに変わりはない。だが、例えばOVER THE TOPでは、曲の始まりのコンテンポラリーダンスでは知念くんがセンター、サビや終盤のイワシの群れを操るような役割を有岡くんが担っていたのは当時かなり斬新だった。メンバーの主演ドラマの主題歌ではそのメンバーがセンターになることが多い。2021年のネガティブファイターでは有岡くんがセンターを務めており、さらにその振りがキャッチーでありながら難易度高めだったので、ダンスのうまい有岡くんがセンターなのは大正解だった。かっこいいに振り切った曲では身長の高い裕翔くんがセンターになることも多い。BANGER NIGHTや狼青年などがそうだ。バラード曲では髙木くんが目立つ。恋をするんだがまさにそれだ。それぞれの良さ、特徴をうまく活かしてどんな曲でもHey!Say!JUMPらしくすることができるのは大きな強みだろう。
ちなみにHey!Say!JUMPの中でも特にダンスが上手いのがいわゆるちびーずの3人だが、そんな3人の中で、有岡くんと知念くんはダンスが似ていると思う。いや、似ているというのとは少し違うだろうか・・・それぞれ特徴がある。有岡くんのほうが重力感のあるずっしりしたダンス、知念くんは無重力さえ感じさせるような軽やかなダンスで真反対のようなのだが、この二人、腕の角度やステップのタイミングなど、寸分の狂いなく揃うところをよく見かける。最近で言えば「恋をするんだ」でもそうだった。ミドルテンポで揃えにくいと思われる腕のフリまでぴったりで、あまりに美しくて見とれてしまう。二人が似ているというより、二人の音感・リズム感がずば抜けていて、完璧であるがゆえなのかもしれない。
ちなみに筆者は、知念くんがダンスにおいては一番だと思っているのだが、そんな知念くんが有岡くんのダンスを見て「やっぱうまいね」と褒めていたのには興奮した・・・
そんな特にダンスのうまいちびーずを真ん中に置いたフォーメーション(山田くんをセンターに有岡くんと知念くんで挟む陣形)ではとにかく揃った綺麗なダンスになるので筆者は特に好きだ。
- グループの強み=仲良し
Hey!Say!JUMPと言えば仲が良いというのはジャニオタのなかでは共通認識なのではないだろうか。先輩のまっすーに「Hey!Say!JUMPはHey!Say!JUMPと遊んでいる」と言われたり、後輩からも「ほんと仲良いですよね」と言われているくらいだ。ジャニーズ以外の方からもその仲良し現場を目撃されて驚かれている。
この仲の良さというのは、長くグループを続けていくうえで最も大事な要素ではないだろうか。どんなに人気があっても売り上げがあっても、メンバー同士が不仲であればすぐに綻びが生まれてしまう。彼らにおいては、これまでの環境がこの仲の良さを作り上げたのであろう。彼らを形容する言葉に「箱庭」というものがある。今でこそ先輩や後輩とのやり取りも多いが、デビューしてからしばらくはこれがほとんどなかったようだ。それは有岡くんも10000字インタビューで述べていた。「常にアウェーだった」と。それは彼ら自身にとってとてもつらいことだったと思うが今となってはそれが彼らの強みになっているのだから人生ってわからないものだ。10代の頃からメンバーしか仲間がいないというような状況のなかで互いに励ましあったり慰めたりしながら活動していたら、信頼関係が構築されるのも必然だろう。また、少し前までよく言われていたのは「大ちゃんは7とBESTの架け橋」というワード。多感な時期を一緒に過ごしていて、しかもずっとそのメンバーといて周りに信頼できる仲間がいないとしたら、メンバーのなかで何かいざこざが起きたとき、なんとなく不和が生まれたときになんとかしてくれる人がいなければバラバラになってしまう。その役割を担ったのが有岡くんだったのではないだろうか。その役割を終えてからは今度は彼自身が壁にぶち当たり、そのときに助けてくれたのが山田くんだった。なんて素晴らしい関係性なのだろう。色々なことがありながらも今こうして活躍し、ますます仲良しにも磨きがかかっている彼ら(笑)最高だなと思う。
彼らは弱みとして、真面目すぎる、エリート感がありすぎるというところがあった。だがバラエティ番組にたくさん出るようになり、しかも冠番組の「いただきハイジャンプ」では番組制作側の意向でスタジオにメンバー全員いることを優先させてくれたようで、これが彼らが一番輝くスタイルだと思っているのはファンだけではなかったんだ!ととてもうれしい気持ちになった。
メンバーが揃うとずっとお喋りしちゃうし公式動画でもみんなでふざけちゃうし、ふざけすぎて動画があほみたいに長くなっちゃうし(笑)、そんな彼らを応援するのはとっても楽しい!最高だ!
とってつけたようなそれではない、長い時間をかけて構築してきた仲の良さ。それさえあればきっとずっと、彼らは大丈夫だ。
Hey!Say!JUMPの今後の活躍がますます楽しみである。
有岡大貴の演技について
有岡大貴の演技について
映画シン・ウルトラマンで高い評価を得ている彼。これまでの出演作品は多いわけではないが、同じく評価の高かったコード・ブルーシリーズへのレギュラー出演や、昨年は初単独主演を務めるなど少しずつ演技の仕事が増えているように見える。
私は有岡担であるし、彼の演技力の高さを知っている。同時に、彼の演技については高評価と低評価が入り混じっていることも知っている。同じ作品であっても両方の評価があったりする。これはなぜなのだろうか?これについて私なりの見解を語ってみたい。
- 視聴者が演技力について何をもって判断しているか
- 役の作りこみ方
- 声
この3点から述べていく。先に言っておくが、これは有岡担の筆者の主観的な考え方であり、正解ではない。
- 視聴者が演技力について何をもって判断しているか
これは有岡くんに限らない話であるが、どんなケースにおいても、完全なる客観視というのは難しいものである。これまでの自分の経験、考え方などによって見え方は変わってくる。接してきた人物や、時代によって見え方が変わることもあるだろう。
たとえば恋愛もの。海外の映画を見ているといつも違和感がある。主人公の心の動きが極端すぎて、何故そのような展開になったのかわからなかったり、現実味を感じないというか、なんか登場人物みんなしてメンヘラ?みたいな・・・だがこれは単純に文化の違いが影響しているのだと思う。日本の映画やドラマでも、大人になってから青春恋愛ものを見ると、いやいや、ありえんだろ!!とツッコミを入れたくなる。これは、10代のころに見えていた世界と現在見えている世界のギャップから生まれているのだと思う。
このように、見る人によって捉え方は変わってしまうもので、ある人が見ればリアリティがあるし、ある人が見ればこんなセリフ・表情はありえないと白けてしまう。
さらに、時代背景もあるのかもしれないが、考える余白がある、すべてを語らない作品に対して「よくわからない」とか「理解できない」という評価を下される場合もあるだろう。今は無駄を嫌う時代。直接的に話の核心とは関係ない部分は飛ばし見をしてしまうのではないか?考えるということを嫌い、さっさと結論を言えという感じ。これは俳優というより脚本に対する評価にはなるが、今はテレビより動画の時代。動画はみたいところだけ切り取って視聴できる。そういったものに慣れてしまった世代にはそもそもドラマや映画はなじまないのかもしれない。
- 役の作りこみ方
さて、ここからやっと有岡くんについての話になる。彼の特徴は、「自分の考えで作り上げるというより期待に沿った役を作ること」だと思う。期待に応えることに価値を置いているため、その役が脚本家や演出家などによって作りこまれたものであればあるほど、そのイメージ通りに期待通りに役を演じ、結果的に評価を受ける演技につながるのではないだろうか。つまり、逆にその役の背景が薄かったり、そもそも出演シーンが少なかったりすると役をつかみきれないのではないだろうか。そしてこのような理由から、役を掴んでしっくりくるまでに時間がかかるタイプなのではないかと推測する。
ここで比較できそうなのが現在公開中のシン・ウルトラマンと金曜ドラマ インビジブルだ。シン・ウルトラマンは監督のこだわりが非常に強い作品だ。有岡くん演じる滝が過去作品のオマージュであることから、思い入れもあるだろう。脚本だけでなく設定も事前にかなり細かく共有されていたり、滝に与えられた役割が彼のキャラクターを際立たせるものになっているなど、有岡くんにとっては滝という人物をとらえやすかったのではないだろうか。
また、彼の演技の真骨頂は表情の動きだろう。目の動きや小さな表情筋の動かし方で心の動きを絶妙に表現している。シン・ウルトラマンはカット割りが特徴的で、顔のドアップが多い。これにより、彼の表情の動きがより見る側に伝わりやすくなっているのだと思う。滝の心情が痛いくらいに伝わってくるのは、セリフ以上に視線の動きや表情の微妙な動きが貢献しているように思う。
一方インビジブルでは、磯ヶ谷の人物像や背景がやや雑な感がある(磯ヶ谷に限らずほかのキャラクターについてもいまいち魅力のある人物にできていない)。ドラマが始まる前は役職や人物紹介から、ある程度仕事はできるけど性格に難ありの役、と想像した。しかしいざ始まってみるとただのおっちょこちょい刑事ではないか・・・。あの人物像は一体なんだったのか?もしかしたら後半でそれが何か意味を成すのかもしれないと期待していたが、どうやらそんなこともない様子。期待しすぎたのかもしれないが、蓋を開けてみれば主役の2人以外の人物設定が全体的に甘いことがドラマそのものの軽さにつながっているように思う。ドラマも映画も小説も漫画も、登場人物に魅力がないと面白くない。
話が脱線した。とにかく言いたいことは、インビジブルにおける有岡くんの演技について違和感を持つ人がいるのは正直理解できるのだが、それは彼の演技力の問題というよりはそもそものキャラクター設定のちぐはぐさと、そのちぐはぐささえも素直に受け入れて役を演じている真面目さゆえなのではないかと推察する。若手エースだと思っていたら犯人取り逃がすし遺体を見て恐怖に震えてるしクリミナルズに怯えてるし・・・磯ヶ谷ってどんなやつなんだよ?と彼自身も戸惑ったのではなかろうか・・・これは単なる想像だ。
- 声
有岡くんの声は独特だ。唯一無二と言ってもよいくらい特徴がある。よく通る声で、聞き取りやすい。どちらかと言えば高くてかわいらしい声だ。
これがプラスになることが多いのだが、役どころによっては違和感になってしまう場合がある。例えば怒鳴るようなシーン。威圧感を感じさせるのは難しいかもしれない。叫ぶとより高い声になるので、威厳は出しにくい。よって、演じる役とシーンによって「あれ?」となる場合があるのだろう。
いわゆる低い声のイケボだと、まあまあ棒読みでもなんとかなる。むしろそれが味になったりもするだろう。声がよく通って高めだと、少しの微妙なイントネーションだけでもすぐに違和感として残ってしまう。女性俳優のほうが男性俳優よりも棒読みを感じやすいように私は思うのだが、それはやはり声が関係しているのではないかと思う。
有岡くんの場合、セリフが多いほうが評価を得るタイプだと思う。声に特徴があるので、一言二言の短いセリフだけだと浮いてしまうことは否めない。感情を乗せにくいというのもあるだろう。しかし本来彼は表情だけでなくセリフ回しも巧い。感情を声に乗せることができる。シン・ウルトラマンでは膨大な量のセリフを喋っており、まさに彼の良さを引き出していた。感情を乗せる場面と淡々と専門用語を話す場面の違いには舌を巻く。
せっかくのこの唯一無二の声をぜひ活かしてほしい。彼の声だからこそ意味を成すような作品・役はきっとたくさんあるはずだ。どうか無駄にしないでほしいと思う。
ここまで3つの観点で話をしてきたが、もう1つ挙げるとしたら、彼のパブリックイメージが邪魔をしているということだ。彼をなんとなくのレベルで知っている人はきっと、明るくてちょっとおバカっぽい、よくスベってる、みたいなイメージを持っていると思う。彼を知るきっかけがヒルナンデスなどバラエティである確率のほうが演技から知るよりも高いからだ。人間、一度その人のイメージを作り上げてしまうとどうしても先入観ありで見てしまう。お笑い芸人がドラマに出ていると、どんなに演技がよくてもやはりお笑いのイメージが拭いきれずなんとなく違和感を持ってしまう。それと似たものが有岡くんにもあるような気がしている。
しかしこれについて、有岡くんは「ギャップを知ってもらいたい」と極めて前向きに考えているようだ。たしかに、前の記事で書いたが、彼の魅力の1つがこのギャップだ。先入観さえ吹き飛ばして魅力を伝えられればきっとたくさんの人が彼のことを好きになるだろう。このようなポジティブで、誰も、自分自身のことも傷つけない彼の言葉選びは尊敬に値する。
いろいろ書いてみたが、正直まだまだ彼の演技仕事は少ない。もっともっとたくさんの役を演じてさらに磨きをかけていく彼の姿を見ることは私の1つの夢だ。
シン・ウルトラマンを1つのきっかけとして、彼にたくさんの演技仕事が舞い込んでくるのは想像に難くない。近い将来にたくさんの演技仕事をする彼を見られることを心待ちにしている。
有岡大貴という沼について
有岡大貴という沼について
有岡くんは今でこそ演技にバラエティに引っ張りだこであり、プロデュース業にも着手するなど多方面で活躍しているけど、ちょっと前までは仕事がそこまで多かったわけではない。しかし露出の量に対してオタクの数はずっと多かった印象が強い。一般知名度とかではなく、お金をきちんと落としてくれるオタクが多い、そんな印象だ。
ジャニオタは特殊だと思う。担降りという言葉があるが、ジャニーズのとあるタレントから別のタレントに好きな気持ちが移行して応援する対象が変わることをこのように呼ぶようだが、私自身もこれを経験しており、新しい担当ができた瞬間というのはこの上なく幸せだ。何もかもが楽しい、そんな感覚。
そしてそんなジャニオタを沼らせる人物の一人が有岡大貴である。彼はなぜオタク達を沼らせ、離さないのか。私が考える理由は大きく3つある。
- ギャップ
- 立ち位置
- 成長物語
1つずつ詳しく話してみたい。
- ギャップについて
これが一番大きな理由ではないだろうか。かくいう私もこのギャップが沼落ちのきっかけとなった。
ファンになる前に私が持っていた有岡くんの印象は、「かわいい」「優しそう」「ちょっとおとぼけっぽい」という感じで、パフォーマンスもろくに見たことがなかったときはまあ普通に歌って踊るアイドルのメンバーの一員だろう、くらいに思っていた。少年倶楽部の司会をしている姿はよく見ていたのでこのような印象を持ったのだと思う。
しかしその年のカウコンでKAT-TUNの曲(たしかReal Faceだったと思う)を踊る彼の姿に衝撃を受けた。「有岡くんってこんなに踊れるの????」と。
気になってからの行動は早く、某動画チャンネルでHey!Say!JUMPのパフォーマンスを見漁り、有岡くんのダンスがとても好きであると自覚する。詳細は省くが、その後の少年倶楽部で披露していた「ありがとう~世界のどこにいても~」の彼の決め台詞「Thanks」で沼落ちすることになる。知っていますか?この時の彼の表情は度肝を抜かれるほどセクシーなのです。まさにギャップ。司会をしているときの優しくてけらけら笑う少年のような彼はそこにはいないのです。
有岡くんはダンスがうまい。これはかなりギャップなのではないだろうか。ファンはもちろん知っていることなのだが、彼のことをよく知らない人は、こんなに踊れる人だとは思っていないと思う。彼が普段纏う雰囲気からすれば、キレキレで重量感のある、指先まで美しく表現力の高いダンスをすることは予想できないだろう。過去の私がそうだった。
一方で、そんなギャップを見せられたからこそパブリックイメージ通りの部分にまた興味を持っていかれてしまいさらなる沼に引きずり降ろされる。優しい・可愛いなどは最初のイメージから特に変わってはいない。
しかしまたここで意外なギャップに頭を悩ませることになる。彼は優しい。メンバーにも優しいと評価されている一方で少しドライなところがある。雪山置き去り事件とか、興味のない話は右から左だとか。また意外と口調が荒い。外部仕事では見せないが、メンバー同士(特に山田涼介相手)では言葉遣いが悪くなる。このギャップもまた好きを加速させる。意外性というのはなんだってプラスの要素になるのだ。
このギャップとパブリックイメージ通りの部分のバランスが絶妙で、知れば知るほどその面白さに沼入りしてしまうことになるのだ。
ちなみに朝に弱くてよく寝坊してしまうところは完全にイメージ通りだった(笑)
- 立ち位置について
これもかなり大きな要素である。これはジャニオタというかオタクあるあるなのかもしれないが、その人自身を好きになるとき、周りの人との関係性とか絡みとか、そういった部分はかなり重要なそのアイドルを構成する要素となり、そういう部分を見るのはオタクの大好物だ。コンビ厨という言葉もあるが、私もまさにこのコンビ厨だ。わたしがはまったのは髙木雄也くんとの組み合わせ。なにせ、2歳年上だが後輩である髙木くんは「有岡くん」と呼び、有岡くんは「髙木」と呼び捨てなのだ。それは現在進行形である。これはコンビ厨狂喜乱舞の案件である。年齢も見た目的にも上、身長差も10cm以上ある二人のこの凸凹な関係。好きになるしかない。
また、有岡くんの立ち位置はかなりオイシイものである。当時有岡くんはグループの真ん中っ子。グループの架け橋的存在であった。そのため、年下の7達相手にはお兄ちゃんのような有岡くんが見れて、一方で年上組のBESTの中では末っ子というポジション。両方の立ち位置の彼を見ることができるのだ。特にBESTのセンターで一番小さい有岡くんがパフォーマンスしたり、むしろ並んでいるだけで「主人公感」が非常に強くなり、あまりの尊さに拝みたくもなる。
また実際に彼にはお兄さんがいて、5歳離れている。これもかなり大きな沼ポイントだった。少し年齢の離れたお兄さんがいる次男(末っ子)というのはオタクからすると最高の推し要素なのだ。
- 成長物語
彼はどの場面においてもメンバーの中で「1番」という感じではない。本人がそれを望まない感じさえある。だがこれもまたうまいなあと思う。「2番手」はいつだってオイシイ。だってファンは、自分が応援することでそのアイドルが成長していくことに喜びを覚えるものだから。そしてそれは、あまりにも1番からかけ離れていては応援のしがいがない。有岡くんは1番人気なメンバーというわけではないかもしれないが、それに追随するくらいの人気度をずっと維持してきた。この維持というのがすごいと思う。仕事がばんばん舞い込むセンターやいわゆる革命を起こしたメンバーとは違い、これ!といった出来事や状態が変わったわけでもないのにずっと人気者。ちなみに、ファンになる前は有岡くんがこんなに人気だとは知らず、コンサートに行って驚いたのはまた別の話。
応援しているアイドルに大きな仕事が決まったり、センター曲ができたり、周りから評価を得たりするのはファンにとってこの上ない幸せだ。約10年間有岡担をしてきているが、こういった経験を継続的にすることができるのは、彼の人気を支えている要素だと思う。
例えばヒルナンデスレギュラーへの抜擢だ。あの時は鳥肌が立った。個人での仕事に目立ったものがそれほどなかった彼がお昼の生放送番組にレギュラー出演が決まったというのは、あの頃の私たちファンにとっても衝撃的な出来事だった。その少し前に、少年倶楽部の司会から突然卒業するという悲しいことがあった。あまりにもあっさりと卒業が決まってもやもやしていた。そこからの大逆転劇!ドラマのようだった。
コードブルーへの抜擢やシン・ウルトラマンへの起用などもまるでシンデレラストーリーを見ているかのような感覚にさせてくれた。有言実行という点では雑誌のソロ表紙を飾ることだったり、Tarzanの表紙を飾りたい!と宣言したことをたくさん実現してきた。
このような成長物語を、1回や2回じゃなくて毎年のように見せてくれるからファンは応援するのが楽しくて仕方ない。もっと先に行く彼を見たいと思う。これは紛れもない沼である。
というわけで、沼に落ちる理由を3つ語ってきたが、まだまだ語り切れていない感はある。それだけ魅力的なアイドルなのだ。そして、その魅力を支えている根本的な要素はやはり彼の人間性と仕事への姿勢なのではないだろうか。彼と仕事をした人はみんな彼を好きになる(ちょっとの共演というよりは、しっかりと関係性を作る現場においてこの傾向があるように思う)。もちろんメンバーはみんな有岡くんのことが大好きだ。さすがにこれは疑う余地がないだろう。ほかのグループから降りてきた私からすると、Hey!Say!JUMPの仲の良さは異常である。もちろん良い意味で(笑)根っからの性格もあるだろうが、どちらかというとアイドルとして仕事をしてきていろんな経験をして身に着けた能力なのだろうと思う。相手との距離の取り方、話を聞く姿勢や質問力、相手を不快にさせない言葉選び、状況を把握する視野の広さなど、これはさすがに生まれつきというには無理がある。そういった土台があるからこそ、ギャップ・立ち位置・成長物語が加わることでさらに魅力的なアイドルになっているのだろう。
なんてかっこいい男なんだ。これだから有岡担はやめられない。
有岡大貴という一人のアイドルについて
有岡大貴という一人のアイドルについて
努力とか大変だったとか忙しいとか、弱みを見せない。
ほかのメンバーの話題を引き出すことに長けていて該当担を喜ばせるが、自分自身について語ることが少ない。
突然なぜこんな文章を書き始めたかというと、5月に公開されたシン・ウルトラマンにより有岡くんの知名度や評価が上がっているのと同時に、新たに彼を認識した方々が持っている彼のパブリックイメージに違和感を持ったからである。
10年以上有岡くんのファンとして生きてきた中で私が持った彼のイメージを以下に書き連ねてみたい。これはあくまでも主観であることについてご留意いただきたい。
セルフプロデュースの鬼である。
たとえば2017年の春から夏にかけて。
ドラマ孤食ロボット、コードブルー、映画こどもつかいの宣伝、新曲のプロモーションなどが重なりどう考えても大変なスケジュールで、ほとんど寝れていない日もあったのではないだろうか。
6月に出演したMステでは、いつもの彼ではありえないくらいぼーっとしているように見えたし、番組のエンディングでは姿がなく、よく見ると足だけ見えていたので立っているメンバーに隠れるようにして座っていたのではないだろうか。裏番組に出演していたとかではなかったので(確か)、立ち上がれなかったのではないかと当時はかなり心配した。だがそのときのことは彼から、ほかのメンバーからも何も語られることはなかった。よって、真相は闇の中である。
Mステだけでなく、目を真っ赤にしてゲスト出演した先輩の番組TOKIOカケルもかなり心配したが、そのことには一切触れていなかったり。
忙しい、体調が優れないなど自分の口からは言わなかったところに、彼の徹底したプロ根性というか、セルフプロデュース力というか、そういうものを感じざるを得なかった。
そして個人的な気持ちで言えば、そういう彼のスタイルは尊敬に値するしかっこいいと思うものの、弱みを見せてくれない少しのさみしさとか、頑張りが周りに見えにくくて、努力を前面にアピールするタイプの人間のほうが頑張っているように見えてしまうし、悔しさみたいなものを感じてしまう。
そしてそれは、番組や共演者、なんなら視聴者からの彼の扱いという部分にも繋がっているように思う。
なんとなく彼のイメージは「いじられキャラ」「ぽんこつ」みたいなものになっているようだ。ヒルナンデスでついたイメージだと思うが、事実からはかなりかけ離れていると思う。確かに有岡くんは器用ではないように見えるし、頭脳派というのも違う気がするし、天然なところはかなりあると思う。そこからいじられキャラとなったのは理解できるしそこが愛されていていいなと思う反面、関係性のできていない方からの雑ないじりとか、ましてや一般の視聴者がいじるというのは全く愛はこもっておらず、目の当たりにすると不快に感じることがある。
また、誰にでも優しく愛嬌があり着飾らないので、なんとなく周りはなんでも言ってよさそうと判断してしまうのだろう。それはタレントの在り方としては正しいのかもしれない。少なくとも、ツンケンした芸能人(今時あまり存在しない気もするが)より遥かに好印象だろう。だが、その印象が、例えば視聴者によくない親近感を抱かせている気がしている。つまり、視聴者からもいじられる対象になっているのではないかということ。ファンがわかってくれていればいい、と彼は思うかもしれないが、そのファンからすると、有岡くんの存在が軽んじられているような気がして我慢ならないこともあるのだ。重たいファンで本当に申し訳ない。
自分よりメンバー。自分より全体。
自分が目立つとか自分が成功するとかよりも周りを優先する傾向があるように思う。グループ仕事であれば自分よりほかのメンバーを立てるし、外部仕事でも自分が目立とうとはしない。どちらかというとその現場のなかでうまく立ち回っていい仕事を作っていくことを重要視している感じだ。それは社会人として素晴らしいと思う。だけど、それはとても地味で、評価されにくいのも確かだ。有岡くんがかなりの功労者であることに、周囲の人間は気づいてくれているのだろうか。
どの職場でも、目立った仕事をする人を評価するというのはあるあるだろう。しかし本当にその職場の成績を上げることに貢献しているのは、人間関係が円滑になるよう立ち回って、誰にでも分け隔てなく接して職場の雰囲気を作っている地味で目立たない仕事をしている人間かもしれない。しかしそのことに気づき評価できるような上司がちゃんといてくれるのだろうか?
・・・話を戻すと、ファンの立場からすると、彼のそのような立場は少しもどかしく感じることがある。
希望
ここで、我々ファンのそのもどかしさを見事に打ち消し、また有岡くんの自己肯定感を爆上げしてくれる存在が突然現れた。そう、ウルトラマンになる男こと斎藤工さんだ。映画雑誌でのインタビューでは、どの媒体でも有岡くんのことをストレートに、そして尋常ではないボキャブラリーで褒めたたえていた。そしてその内容は、ファンが常に欲していた言葉たちであった。読んでいて泣けてきた。こんなにも彼の素晴らしい部分を理解して、しかもそれを形ある言葉にして伝えてくれた斎藤工さんには一生分の感謝をささげたいくらいにとにかく感謝している。有岡くん自身は照れからなのか「早くこの褒めちぎりタイムを終わらせたい!」という雰囲気を醸し出していたが(笑)、ファンとしてはいつまでも聞いていたい言葉たちであった。ありがとう、ウルトラマン。
まあ長々と書いてしまったが、結局のところファンが知ることのできる有岡大貴という姿だって全てではないわけで、もしかしたら上記してきたことはあまりにも的外れなのかもしれない。その人間をどう捉えるかは人それぞれだ。
もしこの文章を読んでくださって反感を持ったりそれは違うと感じた方がいたとしても、「まあ感じ方は人それぞれだからな」とさらりと受け流してほしい。とにかく私は有岡大貴というアイドルが大好きだ。それだけは紛れもない事実である。