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有岡大貴の演技について

有岡大貴の演技について

 

映画シン・ウルトラマンで高い評価を得ている彼。これまでの出演作品は多いわけではないが、同じく評価の高かったコード・ブルーシリーズへのレギュラー出演や、昨年は初単独主演を務めるなど少しずつ演技の仕事が増えているように見える。

 

私は有岡担であるし、彼の演技力の高さを知っている。同時に、彼の演技については高評価と低評価が入り混じっていることも知っている。同じ作品であっても両方の評価があったりする。これはなぜなのだろうか?これについて私なりの見解を語ってみたい。

 

  • 視聴者が演技力について何をもって判断しているか
  • 役の作りこみ方

 

この3点から述べていく。先に言っておくが、これは有岡担の筆者の主観的な考え方であり、正解ではない。

 

  • 視聴者が演技力について何をもって判断しているか

これは有岡くんに限らない話であるが、どんなケースにおいても、完全なる客観視というのは難しいものである。これまでの自分の経験、考え方などによって見え方は変わってくる。接してきた人物や、時代によって見え方が変わることもあるだろう。

たとえば恋愛もの。海外の映画を見ているといつも違和感がある。主人公の心の動きが極端すぎて、何故そのような展開になったのかわからなかったり、現実味を感じないというか、なんか登場人物みんなしてメンヘラ?みたいな・・・だがこれは単純に文化の違いが影響しているのだと思う。日本の映画やドラマでも、大人になってから青春恋愛ものを見ると、いやいや、ありえんだろ!!とツッコミを入れたくなる。これは、10代のころに見えていた世界と現在見えている世界のギャップから生まれているのだと思う。

 

このように、見る人によって捉え方は変わってしまうもので、ある人が見ればリアリティがあるし、ある人が見ればこんなセリフ・表情はありえないと白けてしまう。

さらに、時代背景もあるのかもしれないが、考える余白がある、すべてを語らない作品に対して「よくわからない」とか「理解できない」という評価を下される場合もあるだろう。今は無駄を嫌う時代。直接的に話の核心とは関係ない部分は飛ばし見をしてしまうのではないか?考えるということを嫌い、さっさと結論を言えという感じ。これは俳優というより脚本に対する評価にはなるが、今はテレビより動画の時代。動画はみたいところだけ切り取って視聴できる。そういったものに慣れてしまった世代にはそもそもドラマや映画はなじまないのかもしれない。

 

  • 役の作りこみ方

さて、ここからやっと有岡くんについての話になる。彼の特徴は、「自分の考えで作り上げるというより期待に沿った役を作ること」だと思う。期待に応えることに価値を置いているため、その役が脚本家や演出家などによって作りこまれたものであればあるほど、そのイメージ通りに期待通りに役を演じ、結果的に評価を受ける演技につながるのではないだろうか。つまり、逆にその役の背景が薄かったり、そもそも出演シーンが少なかったりすると役をつかみきれないのではないだろうか。そしてこのような理由から、役を掴んでしっくりくるまでに時間がかかるタイプなのではないかと推測する。

ここで比較できそうなのが現在公開中のシン・ウルトラマン金曜ドラマ インビジブルだ。シン・ウルトラマンは監督のこだわりが非常に強い作品だ。有岡くん演じる滝が過去作品のオマージュであることから、思い入れもあるだろう。脚本だけでなく設定も事前にかなり細かく共有されていたり、滝に与えられた役割が彼のキャラクターを際立たせるものになっているなど、有岡くんにとっては滝という人物をとらえやすかったのではないだろうか。

また、彼の演技の真骨頂は表情の動きだろう。目の動きや小さな表情筋の動かし方で心の動きを絶妙に表現している。シン・ウルトラマンはカット割りが特徴的で、顔のドアップが多い。これにより、彼の表情の動きがより見る側に伝わりやすくなっているのだと思う。滝の心情が痛いくらいに伝わってくるのは、セリフ以上に視線の動きや表情の微妙な動きが貢献しているように思う。

一方インビジブルでは、磯ヶ谷の人物像や背景がやや雑な感がある(磯ヶ谷に限らずほかのキャラクターについてもいまいち魅力のある人物にできていない)。ドラマが始まる前は役職や人物紹介から、ある程度仕事はできるけど性格に難ありの役、と想像した。しかしいざ始まってみるとただのおっちょこちょい刑事ではないか・・・。あの人物像は一体なんだったのか?もしかしたら後半でそれが何か意味を成すのかもしれないと期待していたが、どうやらそんなこともない様子。期待しすぎたのかもしれないが、蓋を開けてみれば主役の2人以外の人物設定が全体的に甘いことがドラマそのものの軽さにつながっているように思う。ドラマも映画も小説も漫画も、登場人物に魅力がないと面白くない。

話が脱線した。とにかく言いたいことは、インビジブルにおける有岡くんの演技について違和感を持つ人がいるのは正直理解できるのだが、それは彼の演技力の問題というよりはそもそものキャラクター設定のちぐはぐさと、そのちぐはぐささえも素直に受け入れて役を演じている真面目さゆえなのではないかと推察する。若手エースだと思っていたら犯人取り逃がすし遺体を見て恐怖に震えてるしクリミナルズに怯えてるし・・・磯ヶ谷ってどんなやつなんだよ?と彼自身も戸惑ったのではなかろうか・・・これは単なる想像だ。

 

 

有岡くんの声は独特だ。唯一無二と言ってもよいくらい特徴がある。よく通る声で、聞き取りやすい。どちらかと言えば高くてかわいらしい声だ。

これがプラスになることが多いのだが、役どころによっては違和感になってしまう場合がある。例えば怒鳴るようなシーン。威圧感を感じさせるのは難しいかもしれない。叫ぶとより高い声になるので、威厳は出しにくい。よって、演じる役とシーンによって「あれ?」となる場合があるのだろう。

いわゆる低い声のイケボだと、まあまあ棒読みでもなんとかなる。むしろそれが味になったりもするだろう。声がよく通って高めだと、少しの微妙なイントネーションだけでもすぐに違和感として残ってしまう。女性俳優のほうが男性俳優よりも棒読みを感じやすいように私は思うのだが、それはやはり声が関係しているのではないかと思う。

 

有岡くんの場合、セリフが多いほうが評価を得るタイプだと思う。声に特徴があるので、一言二言の短いセリフだけだと浮いてしまうことは否めない。感情を乗せにくいというのもあるだろう。しかし本来彼は表情だけでなくセリフ回しも巧い。感情を声に乗せることができる。シン・ウルトラマンでは膨大な量のセリフを喋っており、まさに彼の良さを引き出していた。感情を乗せる場面と淡々と専門用語を話す場面の違いには舌を巻く。

せっかくのこの唯一無二の声をぜひ活かしてほしい。彼の声だからこそ意味を成すような作品・役はきっとたくさんあるはずだ。どうか無駄にしないでほしいと思う。

 

ここまで3つの観点で話をしてきたが、もう1つ挙げるとしたら、彼のパブリックイメージが邪魔をしているということだ。彼をなんとなくのレベルで知っている人はきっと、明るくてちょっとおバカっぽい、よくスベってる、みたいなイメージを持っていると思う。彼を知るきっかけがヒルナンデスなどバラエティである確率のほうが演技から知るよりも高いからだ。人間、一度その人のイメージを作り上げてしまうとどうしても先入観ありで見てしまう。お笑い芸人がドラマに出ていると、どんなに演技がよくてもやはりお笑いのイメージが拭いきれずなんとなく違和感を持ってしまう。それと似たものが有岡くんにもあるような気がしている。

しかしこれについて、有岡くんは「ギャップを知ってもらいたい」と極めて前向きに考えているようだ。たしかに、前の記事で書いたが、彼の魅力の1つがこのギャップだ。先入観さえ吹き飛ばして魅力を伝えられればきっとたくさんの人が彼のことを好きになるだろう。このようなポジティブで、誰も、自分自身のことも傷つけない彼の言葉選びは尊敬に値する。

 

いろいろ書いてみたが、正直まだまだ彼の演技仕事は少ない。もっともっとたくさんの役を演じてさらに磨きをかけていく彼の姿を見ることは私の1つの夢だ。

シン・ウルトラマンを1つのきっかけとして、彼にたくさんの演技仕事が舞い込んでくるのは想像に難くない。近い将来にたくさんの演技仕事をする彼を見られることを心待ちにしている。